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今は昔館

こんぴらレトロ写真館

学校・こども
昭和25年

天皇行幸を歓迎する幼稚園児
琴平幼稚園前

現在の観光バス駐車場
昭和24年頃
ノミ、シラミが繁殖し、連合軍の指示でDDT撒布
頭に白い粉を吹き付けて真っ白になっている
琴平幼稚園
元 琴平小学校 正門

昭和11年11月27日
琴平小学校落成式
元榎井小学校 正門
琴平町象郷小学校昔 元象郷小学校 正門
昭和15年11月11日
紀元2600年奉祝式

元琴平小学校校庭
左の方に見える白くて四角いのは学校です
上から
琴平小学校
琴平高等学校
琴平中学校
榎井小学校
バイパスができる前の写真です

「可愛らしい時代」とラフカディオ・ハーンが表現した巫女さんたち。

御本宮から奥社に向かう参道を整然と歩く。
当時の巫女は小学校へ通いながら夜間になると神楽舞や行儀・作法まで修めたという。

大正初期

金刀比羅宮境内
明治時代の絵葉書(写真)
 大門を桜の馬場から写したもの
 大門は今も昔も変わらないようですがこれは珍しい写真です。

 よく見ると、大門の門が3ヶ所とも開いています。
 今は、随身像が左右に納まっています。
 この頃はお祭りになると左右の通りには花がいっぱい飾られたそうです。

金刀比羅宮学芸館
絵葉書
昭和初期
金刀比羅宮茶所
絵葉書
昭和初期
金刀比羅宮宝物館 雪の夜
絵葉書
昭和初期
金刀比羅桜の馬場
絵葉書
昭和初期
主基祭殿(すきさいでん)記念殿
大正4年綾川町山田で抜穂の儀式をした後金刀比羅宮が譲り受けたもの。
台風で壊れたため撤去
写真右から神饌殿、神殿、稲寶(いなのみ)殿

現在の元社務所の南、馬の運動場(プロペラがある所)
新公園
金刀比羅宮図書館付属器械運動場
移動平行棒、固定平行棒、鞦韆(しゅうせん)-ブランコ、平均台、遊動円木 腰掛鞦韆、回旋塔、シーソー、金棒がありました。

昭和4年
金刀比羅宮 新公園上鏡池の噴水
絵葉書
昭和初期
町並み
琴平町 並び燈籠 大正時代 昭和15年撮影

富士見町の並び燈籠
東西両側に整然と並んでいる。

西側(画面左)は昭和22年に神事場、駅に移転された。
金丸座(小松町時代)
昭和39年にできた中村福円の碑がないのでそれ以前はたしかなのですが...
天井には花の絵がいっぱい描かれていました。現在の金丸座にはみあたりませんがこの絵はどうなったのでしょうか

格天井花丸絵
   (ごうてんじょうはなまるえ)
旧金毘羅大芝居の平場天井に張られていた花丸絵板。明治31年の大改修の際、新規に造作された。絵は木村公景作と伝えられている。


明治38年に鞘橋が神事場へ移転して新しく架かった一の橋
新町北側から写したもの
新町南側から写したもの
鞘橋の横を走るボンネットバス
道路はまだ舗装されていないようです。
昭和初期
鞘橋の南 水車小屋への水路
琴平駅玄関から写したもの

駅前はまだ広場です
大宮橋と玄孝橋の間に架かる「ノーシン」のネオンサイン

手前には「つるや」の塔

右上にはコトデンの旧駅・高燈籠がみえる。
内町から新町方向を見たところ
「つるや旅館」のドームが見える
内町
右の旅館は「まつや」
現在はありません
内町
とらや旅館 大門
元琴平町役場 現在の海洋会館のところ

昭和39年に役場は琴平小学校内に移転

この写真は海洋会館になってからのもの
今の神明町南の方 
この頃は高藪町といっていたらしい
明治16-21年ごろ

左手2件目 二階建が「琴平郵便所」
右手電信柱の向こうに三角のひさしが見えているところが「丸亀警察署琴平分署」

警察署は昭和21年に神明町(現在の雄美堂あたり)に新築移転
神明町時代の琴平警察署
正面洋風二階建て
火の見櫓も見える

昭和39年に榎井バイバス沿いに移転
琴平北郊外 岩崎随道あたり
北より南に向かって写す
画面右の複線軌道は琴平参宮電鉄
左はJR当時は国鉄土讃線
その横には四国新道
昭和4年
五街道町口の鳥居 
多度津街道の町口
高藪の鳥居

高藪にあったこの鳥居は鳥居の中で一番古く、天明2年(1782)の建立です。
昭和48年に高燈籠のある北神苑に移設されました。
左に並び燈籠、その奥に今はもう枯れてなくなった亀の松の立派な姿も見えています。

阿波街道の町口
阿波町の鳥居

阿波町にあったこの鳥居は昭和33年、車の普及に伴い
西山の裏参道上り口に移転された。
その後、学芸参考館の下に再び移転された。

鳥居の向こうに神事場が見える。

新町鳥居 高松街道の町口
新町の鳥居
昭和初期

今も新町にあります
アーケードがないので象頭山がよく見えます。
伊予・土佐街道町口
牛屋口の鳥居
昭和初期

今も牛屋口にあります
横瀬鳥居 丸亀街道町口
横瀬の鳥居
昭和初期

今も横瀬にあります
下の飯の山の写真で真中に白くぽつんと見えるのがこの鳥居です。
オマケ
琴平の鳥居ではありませんが珍しいので掲載してみました。

多度津 鶴橋から100mぐらい琴平よりに建っていた鳥居

雲州(島根県)の人たちの寄進で中には相撲取りの雷電為衛門の名も見えるので雷電の鳥居とも呼ばれています。
現在は多度津桃陵公園に移設されています。
昭和3年頃
飯の山三景 昭和初期 「小富士」と書かれています

B横瀬の鳥居が田の中にぽつんと見える
@ コトデン、琴急の駅・線路が見える
A町並みの甍
この頃はまだ高い建物が少なく、高燈籠がよく見えます。
神苑三景
明治後期
高燈籠
手前は金倉川
水鳥が泳いで優雅な風情です
明治後期
雪の神事場

西北から撮影
明治後期
雪の神事場

西南から撮影