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こんぴら街道


♪〜 こんぴら船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ〜♪
  廻れば四国は讃州那珂の郡象頭山金毘羅大権現 一度廻れば ♪〜

国の道は金毘羅に通ずと言われ、四国各地から「こんぴらさん」をめざす道を「こんぴら街道」と呼びました。

戸時代には金毘羅信仰が盛んになり、全国各地からやってきました。
自由に旅をすることが許されていなかった庶民にとって伊勢参りや金毘羅参りと言う信仰の旅は許された一生に一度の楽しみでもありました。
又、金毘羅講という組織が作られ、講の人たちがお金を出し合って代表者がお参りに来ました。(くじ引きで参加者を決めることもあったようです)
燈籠、鳥居、玉垣などの奉納物にそれぞれ寄進した講の名前が彫ってあります。

らじを何度も取り替えながら何日も、何時間も歩いて歩いて金比羅山を目指しました。途中で海があれば船に乗り、川があれば渡しに乗ったり飛び石伝いに渡ったり、木の橋でも架かっていれば「ラッキー!」とは言わなかったでしょうがありがたく思えたことでしょう。(土器川に木の祓川橋が架かったのが明治35年で、それまでは板を石の上に渡しただけでした)
全国から来るはじめての人が道に迷わないように幾つもの道標、丁石、常夜燈が道端に置かれ、ゆっくりと足を伸ばして休める茶堂もたてられました。

治22年に讃岐鉄道が丸亀−琴平を走り、明治27年には四国新道が開通してバスや車が普及してからは街道の役目を終えましたが今でもその名残があちらこちらに見えます。

比羅山をめざす方から言えば「こんぴら街道」ですが、琴平側から言えば目的地に応じてそれぞれ名前が付いています。高松街道 丸亀街道 多度津街道 阿波街道 伊予・土佐街道等、このほかにもいろいろありますが主なものはこの五街道です。

(街道と言われるのはは一の鳥居がある町口までですが、分かりやすくするために下の地図では大門までたどってみました)

街道にはそれぞれ特徴があります。写真を見ながら行ってみて下さい。
小さな道標などは車で行くとあっと言う間にとおり過ごしてしまうことがあります。2度3度と行くうちにわかってきますのであきらめずに楽しんでください。

上の浮世絵は安藤広重の「六十余州名所図会 讃岐象頭山遠望」 まんのう町羽間の残念坂の様子を描いたものだと言われています。

高松街道
新町-旭町-榎井を通ります


  丸亀街道
新町-富士見町-横瀬-苗田-櫛梨を通ります


 多度津街道
神明町-高藪を通ります


 阿波街道
金沢町-阿波町を通ります


伊予・土佐街道
                                           谷川-牛屋口を通ります