コミュニティの復興状況
■戦後から震災までの人口及び世帯数の推移
新長田駅北地区東部における戦後の人口ピークは、昭和30年頃で、9280人が居住していた。
その後、人口は減り続け、震災直前の平成6年には4877人で、
ピーク時の約半分となっていた。
■新長田駅北地区東部の人口及び世帯数の推移
昭和30年以降、人口は減少を続けるが、40年のには、神戸大学工学部跡地における住宅地開発による人口の流入によるピークがあり、50年頃からは、工場跡地の再開発によるマンション立地などにより、平成6年に世帯数のピークがあった。

世帯数に比べ、人口の減少が著しいのは、1世帯あたりの家族数の減少と思われる。少子高齢化、核家族化などにより、昭和30年に4.43人/世帯が平成6年には2.28人/世帯と、
核家族化が進んだ。

■震災後10年間の人口と世帯数の推移
震災直前の平成6年、人口は4877人であったが、12年には3628人となり、震災前の7.4割まで減少したが、その後増加に転じ、16年には震災前の8割になった。
世帯数は、2138世帯が、最小で1563世帯と7.3割となっていたが、16年には8.7割まで回復している。
震災後の人口、世帯数の回復は、町丁によって著しく異なっており、震災後の環境基盤の整備の進行具合などによる影響と考えられる。
■借家層中心から持家層中心へ
震災直前、約6割が借家世帯であったが、震災後は細田線北側で7.5割、細田線南側で5.7割が持地持家となり、借家中心だった地域が持家層を中心とした地区へと逆転した。
■新しい居住者の増加
震災後地区に居住した割合が、細田線北側で2.2割、南側で3.6割あり、特にここ5年間で新しい居住者が増加した。
■年齢別構成の変化
震災後、若い世代が地区に流入してきた。

住民の意識
■震災後自分にとって特につらかったこと
●震災前からの住民
財産を失ったこと
親戚・友人を失ったこと
区画整理に関係すること
事業の経営難
→重複して個人にとって困難な問題を抱えていた
●震災後居住した住民
→環境整備を期待して移転したが、事業の進み方が遅いことが不満
■震災で得たもの
心に関わる経験が全体として多く占める。
■地域の産業状況
事業所は、震災前の平成3年の946から13年には588となり、6.2割と減少。
従業員数は、約半分に減少。

製造業の減少が大きい。
■震災前からの事業所の状況
震災前から地区内で事業経営している事業者の1/3が「同業種、同規模以上で再建」
1/3が「同業種で規模を縮小して再建」
2割が「別業種に転業、廃業」
■事業所の縮小、転廃業・移転等の理由
震災後の不況
区画整理後の環境変化
経営業種の採算性や将来の見通し
■震災後に立地した事業所の状況
当地区の地域産業の活性化の参考になる
自営業:4割
事務所、店舗:各2割
シューズ関係を中心にした製造業:1.5割
■新事業所立地の理由
区画整理による環境整備
駅に近い
同業種の集積地
●震災前からの住民・事業所の方々の声
引ったくりやドロボーの声を聞く
空き地が多い
自警団を自ら作って余震の続く夜も町内を守ってくださった人々ありがとうございます
各自がその時出来る事をする
普通では考えられないような状況下で家族はもちろん、友人、ご近所の方々の「なんとかしなくては」、「助けなくては」と思う気持ち
自分だけではなく、みなを思う心
神戸市の解体撤去費無料は有難かった
整理事業について我々はまったく無知であった
解体撤去のときに作った町内の連絡先名簿がまちづくり連絡網に役立つ
整理事業用語の意味がわからず、事業の目的、減歩の意味もよく理解できず「自分の土地がとられる」という思いのみが強かった
物的、知的、精神面に数え切れないほどの多くの方々の助けをいただいた
人のつながりこそが最も大きな要素
旧住民と新住民とのコミュニケーション、老若の接点をどのように作っていくか
住民自身の意識と責任にかかることでも、公的機関や報道機関による盛り上げや指導も大切
近所の家屋の下敷きになった人に対してなす術がなかった
「まちづくり」の運営で結成された協議会につけられたのが他府県からのコンサルタントで、当局路線を押し付けるばかりで住民からの意見の吸い上げがなかった
区画整理事業の地元への説明が少なかった
担当者によって言い方が異なり、一貫性がなく信頼できなくなった
一人一人の意見をすべて反映するわけには行かないが、無視されることが多かった
「企業と共存できる人にやさしい街・長田」「住みよい明るい町・長田」「人情あふれる杜の下町・長田」の実現を願う
グローバルな情報文化都市として生まれ変わってほしい
行政の見守りサポートが断ち切られた後、近所の助け合いが今以上に必要
遊技場ばかりが増えて住みにくくなった
民間主導といっても大局的な見地に立てる行政と、うまく折り合いをつけなければ前に進めない
●地区外に転出された方々からの声
街並みがかわったと感じると、少し寂しい気持ちにもなる
新しい家やお店が増えていて、人の力強さに驚くとともに、元気な街から元気を与えらている気がする
子供たちのために保育園が町内で一番良い場所が選定されたことがうれしい限り
人が戻ってこないことから復興の現実の厳しさを実感した
永田のイメージを一新させて、神戸市民の皆さん、全国から多くのお客様が新長田地区のシューズ産業を始めとする各種の産業を訪ねてほしい
若い人々が長田ならではの人情溢れる街角に憩いの場を求めて寛ぎに来てほしい
新しい地区に引越した後も声をかけていただける
更なる復興に向かってがんばってほしい
●新しい住民の方々の声
近所の方々が良くしてくれる
転居することが町の一員になることとまで考えていなかった
どんな町だったか、どんな町になるのかは知らないが、生き続ける町に見える
災害にすばやく対応できる町であってほしい
住む人誰もが安全を望む町であってほしい
毎日変わっていく町並みに、新しい長田の街の息吹を感じる
行政任せでない手作りの、暖かみのある街づくりを考え、第二・第三世代が自分の故郷は「長田」だと愛着と誇りを持てるように努力していこう
自転車のマナーの悪さが気になる
駐禁がひどいためベビーカーを必要としている子供のいる家庭には心配の種
公園に子供の遊べる遊具が1つも無く残念
自転車さえあれば、スーパー、市場、駅、区役所など生活上必要なところへ行ける点がいい
地域全体で子どもを守ってくれる対策に期待している
一人一人が町のことなどに無関心にならないように積極的に取り組みたい
前の町内では近所づきあいが無く自治体すら知らなかったが、今は近所の方とのふれあいを大切にできる地区である
子育てに適した場所だと思っている